短信集 卯 月

2023年4月15日
文責 : 遠藤 敏信

●過去に例のない3月のバカ陽気で雪はアッという間に無くなってしまった。3月中に田んぼの雪が無くなり田面が乾くなど、今迄見た事も聞いた事もない。このお返しは必ず来るだろう。
 この3月で99歳となった父が昨年末から[我が道を行く人]となってしまい以来その介護と農作業で忙しい日々が続いている。上野千鶴子さんが 「 老いは進化だ 」 と書いていたが、だんだん子供に還っていく父を見ていると明日のわが身を見ているようで心細くなる。輪廻転生そのものかもしれない。そんな父がいつも口にしていたのは「日本は本当にバカな戦争をしたものだ」という言葉。父は出征はしたものの、外地に行く前に敗戦となり無事帰ることができた。衛生兵として教育を受けていた時、同室の岩手出身の同年兵が誰もいない部屋で静かに「この戦争で日本が負けるのだ」と言ったという。外国の事情に詳しい人だったというが、それに比べ、当時の指導者は神風が吹くなどと馬鹿なことを言って、惜しげもなく若い人たちを死に追いやってきた。以前「名将愚将」という本を読んだことがあったが、名将と言われる人たちは皆部下を思い、危険なことは自分が先頭に立って戦い、多くは命を落としているのに対し、愚将と言われた者たちは部下も同胞も見捨てて、さっさと逃げ帰り生き延びて頬かむりをしている。
  北方領土も沖縄をはじめとする全国の米軍基地問題も、日米地位協定も、安保条約も、今に尾を引いている原爆の被害も、徴用工・慰安婦問題等々、すべて先の戦争が生み出したものであるが、生き延びた当時の指導者たちは米国のポチとなっただけで、何一つ解決していないのだ。そしてまた戦争を始めるつもりなのだろうか。
【 笹 輝美 】

 ●集落の入口にまつられている“湯殿山”と彫られたい石台。4/8,夕方から集まり清掃などをやり、お祈りし、3年ぶりに飲み会をやった。毎年4/8に集まっていたが、なぜ4/8になったか、誰も知らない。お釈迦様の誕生日だからという説。湯殿山とお釈迦様は関係があるのか、と誰かが言う。又、農休日がなかった時代、4/8だけは皆休んでいた。娯楽が少なかったので湯殿山にかこつけて、皆飲んできたのではという説。これが一番有力じゃないかと言う。
 あとは血圧の薬を飲んでいるか、とか、足腰がいたい、とか、俺は糖尿病だ、とか、病気話になったが皆、酒量も多く、高齢者だが元気だ! 
【 今田 多一 】

 ●今田さんに写真を届けに来た山岳カメラマンを、新庄市北部にある石動神社(いするぎじんじゃ)の杉の巨木に案内する。車からカメラを取り出し「おおッ」と声を出しながら撮影する。大杉の大きさが比較するものがないとわからないからと、木のそばに立ち私がにわかにモデルになる。
  その帰り道、私の本に興味があるからと寄る。又しても「おおッ」」と声を上げて写真を撮る。「何かお宝が埋まっていそうな本棚だ。泊りがけで宝探しをしてみたい」と。  私は蔵書への誉め言葉と受け取った。  かつてもう20年近くも前になると思うのだが、私の本棚を前にして「心ゆくまでこの空間を味わいたい」と言ってくれた人がいたが、私の本棚をほめてくれたのはまだ一人目だ。
【 三原 茂夫 】

 ● 11月に極めて個性的な義父が永眠。生前から「葬式不要、戒名不要、最後は音楽をかけてくれ」と、好きなクラシック曲の指定もしていた。とはいえ、「普通が一番」と親族に猛反対された。無難な道を行けば、無駄に周囲も止めることはないが、最後ぐらい故人の意思・価値観や「その人らしさ」を尊重したいと強く思った。
 さて、春が来て新一年生のランドセルに目を細めつつも、100%希望したものを一体どれくらいの子が背負っているのか?と疑問を感じる。柔軟性や多様性が叫ばれるわりに、既存の型にはめた「普通」ばかりが望まれてはいないか?  義父のように「変わり者」と言われた個性も、貫けば一つの道となる。火葬場で古い写真を囲んで子や孫が大笑いしたひとときは、この上ないあたたかな時間だった。
  他者との違いを怖がるな。自分は自分。らしく生きよう。        
【 工藤 恵子 】

 ●新庄は今、桜が満開。城跡の堀沿いの並木に見入る市民がおおぜい出ている。 こんなに早い開花は記憶にない、新庄の春の名物(風物詩)カド焼き祭りもゴールデンウィークに設定されている。つまり、通常はGWが桜の季節なのだから相当に早いのだ。
 相当に早い、と言えば、我が家の農作業のペースが今年はめっぽう早い。はたから見れば、異常に早いと見えるらしい。何せ、通常20日頃から3,4日間隔で3回種まきするところを今年はすでに3回目を播き終えたのだから。事情によって5月に食い込んだこともあったのに、である。この結果がどうなるのかは分からない。が、仕事を先取りしているのは確かで、やるべき作業に追われていないという安心感がある。この体験この齢にして初めて。
  14日夜、NHKテレビで「アナザストーリー・高倉健」を観た。任侠映画のヒーローから国民的スターになったのは?という流れだった。転機は山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」だったという。普通の人を演ずることで彼は大スターになった。
 【 遠藤 敏信 】