新庄発 … 短信集 … 卯 月

2024年4月15日                                        編集 : 遠藤 敏信


●「年をとると涙もろくなる」
〇 私にとって昭和30年代は小学生から中学卒業までの年代で、土門拳の「筑豊の子供たち」や「昭和のこども」と時代が重なる。写っている子供達の姿が皆、同じ時代を生きたなつかしい顔ばかりである。中でも弁当を持たない子が本で顔をかくして回りの子供達が食事をしている様子を見ないようにしている1枚がある。皆貧しかった時代とはいえ、あの幼い子がどんな思いであの時間を耐えていたのかと思うと、ひとりでに涙が出てきてしまうのだ。
 それは映画「砂の器」で病をかかえた父と子が巡礼(乞食)の旅で同じ年頃の子供達に石をもって追われたりしながらも、小学校の校庭で先生と一緒に運動をしている生徒達を遠くから羨望の眼差しで食い入るように見つめる秀男少年とだぶり、またしても涙となってしまう。
〇 ウクライナやガザには今も多くの人々が死の恐怖に耐え、人の命を省りみない独裁者のために、無念の涙を流している。
【 漂泊 旅人 】

● 9月の第一日曜日、私の村で“神楽回し”という行事があった。「悪魔払ってチョトナ」という掛け声と太鼓をたたき、集落の家々を回り、神楽の口でその家の家人の頭を風邪をひかぬよう、頭病みしないよう噛んで回るのである。そして、お神酒とご祝儀をいただくのだ。
 50軒ほど家々を回りきると、皆、お神酒が効いてベロベロである。(その年に不幸があった家は回らない)  私たちの時は青年団が担当し、その後消防団、そして隣組が担当してきたが、負担が大変だということもあって今年の総会で中止となった。昔のことを懐かしむのは、やはり年をとった証拠でもあるが、村で動ける若者がいなくなった。
【 今田 多一 】

● 4月に入り例年にない高温が続き、3月の低温で足踏みしていた木々や草花は急速に活動を始め、屋敷の梅と花桃の花もほころび始めた。と同時に急に農作業も忙しくなり、もうすぐ稲の播種作業である。そして心配なのは少雪による水不足である。自然は私達に都合の良い天候をなかなか与えてはくれない。
 自然といえば、今自然エネルギー事業には国が湯水のごとく血税を放出している。私たちの新庄市に隣接する町に今、関西の事業者による風力発電計画が持ち上がっている。その手法は、関係自治体首長・議長及び議員・役所の幹部職員・町内会長・各団体の長等への根回しを完了した後に初めて公表する、というもののようである。本当にその地域に貢献するものであるならば根回し等必要なく、リスクも含めて発表すればよいものを、と思ってしまう。
私の知人にも事業者の社員が訪ねてきたようで、その時知人は「何で西の会社が、はるばる東北電力のエリアまで進出してくるのか?」と尋ねたところ「何が悪いのか」との返答であったそうな。
 今全国の風力発電において、事業者と4割の立地自治体との間で問題が生じているとの新聞記事があった。又、採算面で計画通りいかないと撤退の例も数例報告されている。そして撤退しても国からの補助金は返還の義務がないとのことであり、残されるのは荒れ地のみ。
 やはり、資本というのは“今だけ、金だけ、自分だけ”のようである。
【 笹 輝美 】

● 桜の花が咲きだした。新庄はまだ咲き始めだが、用事で出かけた山形市は満開だった
馬見ヶ崎川沿いの桜並木は花見客の車でごった返していた。やはり見事な景観だった。
春先のこの季節は毎年のことながら格別な思いがする。心も解き放たれるような感がある。
 農作業が始まり、外での仕事が忙しくなります。がんばっちゃうかな。
【 遠藤 信子 】

● 農作業が始まると、カレンダーとにらめっこをしながら、毎年同じような作業パターンに入る。
 その繰り返しこそが“農の営み”なのではないかと思う。
今年もイネの種まきを終えた。約2100枚を3回に分けて播く。以前は3日おきのローテーションだったが6日毎に改めた。ビニールハウスから外に移した苗に、保温目的の被覆資材のかけ外しの手間を省くためだ。この繰り返し。だが、水を含んだ育苗箱は結構重い。あと、何回(年)できるか、をいつも考えている。あと2年ぐらいは頑張るつもり。膝が言うことを聞かない。
【 遠藤 敏信 】



                                









「新庄の積雪審の推移表」
2023年~2024年にかけての冬はこの表によれば、2番めの少雪でした。










新庄発 … 短信集 … 弥 生

 2024年3月15日                                         編集 : 遠藤 敏信


● 昨年売却した杉林跡に植林をやらないかと最上広域森林組合の若い職員が来てくれた。私も伐採だけでは気が引けるので依頼した。34アールの植林代が¥20,000で、1回の下草刈りが¥1,400だという。でも森林組合に出資金と組合費を納めなければ補助金が出ないという。 私の若いころは下草刈りは10年やらないと杉がよく成長しないと教えられていたが、現在は6年が普通だという。
 今、新庄・最上の森林の伐採状況を見れば植林する人たちがいるか、と聞くと高齢化も進み人手は完全に足りないともいう。そして私の村で植林を依頼した地権者はどれくらいだと聞いたら、約半数だという。杉は植林した世代が利用するのではなく、次の世代が利用するのだが、そのころの農村はどう変わっているか!?
【 今田 多一 】

● 3月に入ったら冬本番なったものの降雪量は少ない。先日、友人が自分で採取したメープルを4ℓほど持ってきてくれた。早速薪ストーブで煮詰めてシロップを作ってみた。出来上がった量はほんの少しだがすこぶる甘い。友人の話では、今年は例年より1か月ほど早くイタヤカエデの樹液が出たという。さてさて今年の夏はどんな天候となるやら。
 先月某資本がコメの先物取引を国に申請したとの記事が載っていた。一物をも生産することの無い者達が金を転がすだけで、富を手にする方策をあの手この手で打ち出してくる。又もや過去に逆戻りである。彼らが得る富はいわば、汗して働く人々達から掠め取るに等しい。一方農水省は離農が相次ぐ為、農地の確保を至上命題のようにしているが、耕してこその農地である。耕す人がいなければたちまち雑草や樹木が生い茂ってしまう。土地だけ残しても農地とは言えない。
 労働者を低賃金で働かせる為に、農産物(食糧)を低廉で供給するという図式を改善しなければ何の解決にもつながらない。少子化とて同じで、その場しのぎであり、百年の大計には結びつかない。もっとも自己保身と無責任競争に終始している輩の考えることはこんなものであろうか。
 そういっている私も自己保身(健康)にヤッキとなっている一人である。ビニールハウス内での作業はまだまだ続くから … 。
【 笹 輝美 】

● 申告書をまとめ終え、ほっとしている。我が家は義父のころから青色申告を行っており、仕分け作業を私が引き継いだ。潤沢な金の扱いならば作業も楽しいのかもしれないが、通帳残高を見てはため息が出るばかりの苦行である。
 今年度、稲の作柄は我が家の場合そう悪くはなかった。しかし、農用資材の高騰や作業機械の修理費などが影響し、支出がことのほかかさんでしまった。
 農業は、面白い仕事だ。が、残念ながら、突き詰めれば儲かる仕事ではないと思う。
【 遠藤 信子 】


● この冬は小雪で、2月末で雪はほとんど消えかけていたが、3月に入って3日ほど除雪を伴う積雪があり、また地面を覆った。簡単に春はやってこない。
 とはいえ、陽射しは長くなり、春めいてきたことは確かカレンダーを見るまでもない。
 稲の種もみが、全種全量揃った。5㎏づつ、小分けにすることから始めようと思う。
 生育の早い順に、ヒメノモチ、あきたこまち、さわのはな、はえぬき、雪若丸、つや姫                             である。
【 遠藤 敏信 】


2月14日

3月12日




                                                            


新庄発 … 短信集 … 如 月

 2024年2月15日
編集 : 遠藤 敏信


•  新庄でこんなに雪の少ない冬は、私の記憶にはない。野良のあちこちに稲株が見える状態である。いつもなら、雪下ろし作業による転落事故や雪の被害などは必ず地方ニュースになるのだが、今年はそれも聞かない。
 雪の排雪作業をやらなくて済むので、労力的には助かるのであるが、夏の天候がおかしくなるのではないかと心配! 降ったら降ったで又心配なのが農業である。そして冬の農閑期の会話で聞こえてくるのが、誰誰が“春から田んぼを貸すんだと”という話である。70歳代の私たちによく言われる離農の時期は、農業機械が壊れた時か体を壊した時だと!
【 今田 多一 】

•  この冬は一体何なんだ。過去にも暖冬は何回もあったが、この冬はその比ではない。大寒というのに雪も降らず、厳しい寒さもなし、吹雪の中全身真っ白になっての除雪作業もなく、毎朝夕の除雪も必要なし。こんな楽な冬はないのだが、このお返しがどのような形で現れるのかが一番気になるところだ。
 この冬もビニールハウスで山菜のウルイの促成栽培を行っているが昨年の猛暑の影響で株が充実しきれなかった為、全体に細く収穫は平年の7割止まりとなっている。いくら技術が向上し、資材が高度なものとなっても、天候には逆らえないのが農業である。今年は気を引き締めて取り組まなければならない。
 蛇足に、近年目や耳にしたことわざ・謹言・熟語を記してみたい。
○三権融合   ○忖度主義社会   ○減子力政策 ⇒ 新自由主義
○無責任競争力推進会議   ○アメリカ合衆国日本総督府   ○虚言実行
○国民次権   ○国内植民地 = 地方   ○寄生壊撹怪疑   ○働かせ方改革
 それぞれに意味・解釈はお任せしますが、このような言葉が生まれる社会にしたのは誰でしょう。
【 笹  輝美 】

•   2月。この時期になるといつも味噌づくりにとりかかります。いわゆる寒づくりというものです(もっとも節分は過ぎたわけですが、例年であれば厳寒期であることに変わりはない)。
 ところが今年はいつになく雪が少なく暖冬、過ごしやすくていいのか、悪いのか複雑な思いがします。今日14日、糀づくりを始めました。豆は従来”秘伝豆“を使っていましたが、今年は同じく“最上伝承野菜”に認定されている“くるみ豆”を使い、糀量を豆量の2倍使う甘味噌仕立てにしようと思っています。
【 遠藤 信子 】

•  確か去年の2月の短信に、車で妻の実家に行こうとして、ホワイトアウト状態に見舞われて引き返したことを書いた。それと比べると今年は過ごしやすいが、拍子抜けするほどの暖冬でむしろ不安が頭をかすめる。
 11日、憲法改悪反対山形集会に参加してきた。ジャーナリスト・志葉玲氏による講演がメイン。ウクライナとガザで民間人がロシアとイスラエルの侵略によっていかに悲惨な目にあっているかをプロジェクターを駆使して、メディアで見る報道・映像とは違う観点から語ってくれた。どう理屈をつけても戦争(侵略)はだめだ!と思う。
高校3年の頃、倫理社会の授業で日本国憲法の前文を暗唱させられたことを思い出す。
 気概のある教師がいたものだ。前文の理念こそが狂気を律する普遍的規範だと思う。
【 遠藤 敏信】

稲の苗代用地
:例年、3月中旬に融雪用に、もみ殻くんたんを播いて雪解けを促す。
4月初旬まで積雪が残るのだが、今年は2月半ばにしてほとんどない。

新庄発 … 短信集 … 正 月

 2024年1月15日

                            責任編集 : 遠藤 敏信


●みなさまにとってすばらしい一年になりますよう 心からお祈りいたします。
 気力、体力の老いを感じながらも元気に過ごしております。
 本年もよろしくお願い致します。  2024年年賀
【 高橋 保広 】

●正月早々、地震・航空機事故。何だか、不安な年明けです。
ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのパレスチナ・ゴザ地区での戦火、どう考えても収まってほしいとは思うのだが、やはり実感が伴わないのです。
【 今田 多一 】

●年の初めから能登半島地震、飛行機事故と大災害大事故と痛ましいニュースが多すぎる年明けになってしまいました。犠牲となられた方々や被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。被災された方々には一日も早く普通の生活ができるように願う毎日です。今年もよろしくお願いいたします。
【 星川 公見 】

●大変な年明けとなってしまった。被災者の大変さは自然災害が続く昨今とても他人事では済まされない。予報通りの暖冬で、クリスマス前後に私のところでは30㎝ほど積もった雪は1/10日までにほとんど消えてしまった。その為、秋にやり残した今秋から使用する薪の伐採を正月明けに行うことができた。
 年末に人口予測が発表されてショックを通り越し「やはりそうか」と納得してしまった。極論すれば新自由主義経済の当然の帰結という事であろう。
 やはり年末のテレビで食糧をテーマにした番組があったがその中で農水省関係者が近い将来食糧生産の減少が予想されるが人口も減少するので大丈夫、といったような事を述べていたのを聞き、この国の立法行政を担っている者達の認識はその程度なのであろうかと開いた口が塞がらなかった。農林業で生計を立てるのが不可能となれば土地から離れるのは当然。努力不足、経営能力の欠如と言うのであれば、そういう言葉を吐く人達が自ら実践し例を示して欲しいものである。かくして人口は年に集中、地方はジジ・ババばかり。もはや風前の灯である。
 「お前は噓つきだから将来は政治家だな」 ある父親が子供に言っていた。役人になる事が目的だった人、議員になる事が目的だった人ばかりのような気がする。何の為役人や議員になったのかを考えて欲しいものである。そして子供達が将来安心して暮らせる社会を築いて欲しいものである。
【 笹 輝美 】

●年明け早々大きな地震には驚きました。能登地方に大きな被害をもたらし、めでたさ気分が一気に吹っ飛びました。無力感を覚えながら、被災地の方々にお見舞いを申し上げます。寒空の中救援と復旧が速やかに進みますことを切に願います。
【 遠藤 信子 】

●暮れに東京から戻り、家を空けていた分の新聞を読んでいたら“星寛治さん”の訃報が載っていた。農民詩人であり。理論的にも実践的にも日本の有機農業運動の草分けでした。二十歳のころ、図書室で読んだ詩集「滅びない土」に感動し、無謀にも車も持たぬ時代に高幡のご自宅を訪ねたことがある。有機農業研究会の発足前だった。
私が師と仰いだ“故大滝十二郎”が星さんとともに山形農民文学誌「地下水」の同人であったことがご縁で何度かお会いし、講演会も複数回快く引き受けていただいたことがある。 4年ほど前から体調を崩していたという。「農の営みは生命の営みそのもの」を体現した御方だった。ご冥福を祈ります。
【 遠藤 敏信 】