2020年11月15日
文責 : 遠藤 敏信
●・私の読んでいる新聞にアメリカの自由の女神像が今回の大統領選を見るに耐えないとつぶやきながら、目隠しをしている風刺画が載った。私ならそれに聞くに耐えないと、たいまつと独立宣誓を下ろし両手で耳をふさいで「こんなはずじゃなかった」とつぶやきながら、膝まずいている女神像にしたかった。テレビを見ている限りでは自分の国の選挙を信じられないで、不正があったと敗北を認めず、わめき散らしているトランプとその支持者ほど見苦しいものはない
・日本では日本学術会議の会員6人の任命拒否を巡って、首相が説明にならない答弁を繰り返している。“厚顔無恥”、いい大人がみっともない。
【 三原 茂夫 】
● 田圃の収穫作業が完了したものの10月末から雨の日が多くなり、ウルイの株掘り取りと運搬が遅々として進まず、それに伴い畑の片付けや植木等の雪囲いも進まず、神室連峰は2度の降雪を見、急速に冬が近づいている。まだまだやることは残っているのだが、11/12の新聞に宮城県女川町の女川原発2号機の再稼働に地元と宮城県が同意したとの記事が載っており、発表した宮城県の知事は地域経済に寄与と語っていた。
もし再事故が起きれば、否応なく山形県もその被害に引きずりこまれるのは必至であり、本当に地域の将来の為になるのか私は疑問を捨てきれない。また6月の新聞には電力会社が各株主総会に提案した「脱原発」がすべて否決されたことも載っていた。
この国がコピーを進める米国では福島のような事故が起きた場合、電力会社のみならず、株主もその原発を設計した会社、建設を施工した会社、管理に関係する会社もすべて補償の責任を負わねばならないとの事だが、日本は株主過保護、おいしいとこ取りを放置している。そもそも何があっても、政府も電力会社も原制委も誰も責任を負わないという無責任体制が続く限り、再惨禍は起きるに違いない。
そして地方の疲弊は更に進行する。
【 笹 輝美 】
● この秋で私は69歳になった。地域の小学校がもうすぐ廃校(統合のため)になるので70才を前に地元に残っている人達で同窓会をやるという連絡が来て、久し振りに参加した。30人の2クラス、60人の内11人が死去したとの報告があった。ネットワーク農縁設立から20数年経つ。関係してくれた人たちでも、私が知る限りでは、川口さん、守田さん、秋山さん、佐藤さんが、生産者側でも田口さんが亡くなった。
今年はコロナで人が集い合うことが出来そうもなく、収穫感謝祭は中止であるが、昨年の催しの際、井ノ部さんが「皆様方との出会いは、偶然でもあるが必然でもあった」という発言に私も同感!
【 今田 多一 】
● 私のむらで長く続いてきた“集まり”が一つ消えた。“お観音講”という最上33観音を祀ることで始まった講で、毎月17日に構成員の家を順番に回りお互いの状況や関心事を語り合う茶話会といったものだった。義母のそのまた姑の頃から続いていたというから、相当に古くからあったものと思う。元はもっと多かったのだろうけれど、私が出ることになった約20年前は隣り近所の6名となっていた。
当時私は40代で、50代・60代の方々とご一緒にさせていただいた。あれから時が経ち、それぞれみんな老いて、60・70・80代となった。
コロナの影響で、3月から例会を休止していたが、再開した10月の集まりの際、「年も年だし、やめたい」という方が出て、いっそのこと解散ということになった。仕方のないことだと思いつつ、むらの生活様式の変化を感じている。
【遠藤 信子 】
● 例会を1日早めて、今夜14日に行った。市の環境課保全室長のY君から「家庭系生ごみの堆肥化事業を農縁で引き受けてもらえないか」との打診あり。前任者が退任することになり、受け手として筆頭候補に上っているという。求められるのは、有機循環の意義の理解と管理力(私が思うに)。持ち越し案件となる。
新庄では、今年首都圏を会場にした従来の「収穫感謝祭」の開催はコロナ下の状況ではムリだべ、と9月時点で決めていた。東京側スタッフは生産者と都市生活者との交流を何とかできないか、と腐心していたようだ。そこで出たのが“ZOOM”を利用しての“オンライン交流会”。
「えっ、なに?」「ZOOM って何よ?」「春までは確か、Skypeだったよな」
「この状況を分らない事って、遅れてるんだべかな」みんな固まる。新庄の会計事務を担うK.恵子さんがパソコンに向かい応対に奮闘。しばらく協議を継続することで落着。「ただ集まりゃ、いいってもんじゃないべ。やるからには楽しくしなきゃ」。
かくして終了したものの、皆一様にため息。疲れを隠せないのだった。
【 遠藤 敏信 】