●今年の田植えは5/22で終えたのだが、それまでは相当気を張っていたのであるが、やはり終わると気が緩む。
1年間で4日しか使用しない田植え機を洗ったり、代掻きロータを格納したり、育苗箱を納屋の隅へと積み上げたり、様々な雑仕事をこなした。
〇13日、吉野さんよりTELをもらう。故障のため修理に出していたトラクターが戻ってきたので、晴れ間を見て大豆トラスト畑を耕したい、と。生産者全員でまずは種まきを終えたい。
【 今田 多一 】
●数年前に、これが最後の刈り払いと思って作業をした杉林に行ってみたら、背の丈を超える雑木があったのでもう1回刈り払いをするか、現場でしばらく考え迷った。
杉はすべて父が植えたものだ。中学を出たばかりの私はほんの少し手伝っただけだ。その頃は国を挙げての造林事業が進められていて、里山のほとんどが杉林に代わっていった。
父は数十年後この杉が大きくなって、売ればまとまった現金が入り、機械を買ったり、家をたてたリ、孫の結婚式の時に役にたつ、とよく言ったものだ。植えた本人は苦労するだけで何の見返りもないが、子や孫のために汗をかくことを惜しまなかった。そういう考え方が当たり前であった。それが現在では、笹さんが短信で何度も嘆いているように、杉の木の価値がなくなってしまった。そういう訳悩むのだ。しかし、父が植え育てた杉林を、たとえこれからも価値がないとしても、荒れた状態にしておくのは申し訳ないというか情けないというか、満身創痍の身であるがしぶしぶ最後の手入れをすることにした。田んぼの価値も最盛期の10分の1に下がってしまった。 ※刈り払い:杉苗を雑草から守るためにする草刈りのこと
【 三原 茂夫 】
●先日、東日本大震災当時、釜石小学校校長だった加藤礼子先生の講演を聞いた。全校生徒184名が一人残らず助かった舞台裏と防災教育の大切さをお話しくださった。
当時釜石市の小中学生は約3,000人、そのほぼ全員が助かったことから、「釜石の奇跡」と称賛されたのだが、「奇跡ではない、日々の教育と訓練の軌跡」のおかげだったと語った。
命の大切さと自然の偉大さをしっかりと理解し、地域の人との繋がりを日ごろから大切にして来たからこそなしえたというお話は、見ならなければならない教訓だ。
さて、この釜石小学校の校歌は、ひょっこりひょうたん島で知られる井上ひさしが作詞したもので、校名も地名も一切出てこない。ただ、そこに「生きる」ことの指針がつづられていて、なんとも素晴らしいので紹介したい。
釜石小学校校歌
一、いきいき生きる いきいき生きる ひとりで立ってまっすぐ生きる
困ったときは目をあげて 星を目あてにまっすぐ生きる
息あるうちはいきいき生きる
二、はっきり話す はっきり話す びくびくせずにはっきり話す
困ったときはあわてずに 人間についてよく考える
考えたならはっきり話す
三、しっかりつかむ しっかりつかむ まことの知恵をしっかりつかむ
困ったときは手を出して ともだちの手をしっかりつかむ
手と手をつないでしっかり生きる
【 工藤 恵子 】
●早め早めの作業をこころ掛けてきたはずだが、今、仕事に追われている状態です。ようやく大豆4種類を蒔き終え、今日、無農薬栽培米の「さわのはな」、「つや姫」の中耕除草作業をottotto と交互に行いました。
コロナ禍前までは今頃は笹巻きづくり指南で、もも保育園に伺っていただろうにな、などと、ちょっと残念に思っています。
【 遠藤 信子 】
●昔親しかった方と急に会いたくなった。消息を尋ねたら、大分前に大病を患ったという。私のことはもう覚えていないかもしれない。どうしたものか悶々としている。
今日、無農薬栽培田の中耕除草を行った。足に痛みを抱える身には大変つらい作業だ。
おっかあが、私も手伝うと言って、田んぼの中を機械とともに歩いてくれた。今、大規模化とともにドローン活用等によるスマート農業が官民挙げて喧伝されている。手間を省き、薬剤等を効率よく処理しようというものだ。中耕除草作業などは真逆の行いである。
【 遠藤 敏信 】
これを受けて今どうしたものか悩んでいます。
果たして、運賃の上げ分を農縁米および流通米、トラスト米等に反映・転嫁させて良いものか、と。
御理解とご協力をいただきたいと思います。
自助努力だけではいかんともしがたい状態です。