2020年3月15日
文責 : 遠藤 敏信
● この冬は「こんな経験は初めて」と思うような事が何と多いことか。
1.印象的に、今までになく雪が少ない冬だ、と感じたこと。(実は2番目でしたが)
2.新型コロナウイルスの感染騒動で日本中(世界中)が大混乱。WHO(世界保健機関)はついに“パンデミック”(世界的大流行)を宣言。あらゆる集会の中止や制限がなされ、今まで経験したことのない事態に陥っています。この先どうなってゆくんだろう、と心配している今日この頃ですが、何とか確定申告書だけは整え、一息ついています。
【 遠藤 信子 】
● 雪無しのまま、とうとう彼岸の季節となってしまい、会う人会う人「このままでは済まないだろう」という話ばかりである。
近くの民有林からは毎日チェンソーのエンジンが鳴り響き、杉の木がどんどん伐り倒されてゆき、慣れ親しんだ光景がすっかり様変わりし、私達が生きてきた時代の変化とオーバーラップする。
今、巷には「忖度主義社会(そんたくしゅぎしゃかい)」、「三権融合(さんけんゆうごう)」「寄生壊攪怪疑(きせいかいかくかいぎ)」「狂騒力酔震会議(きょうそうりょくすいしんかいぎ)」「地方葬整(ちほうそうせい)」といった新語があることを耳にした。ナルホドと変に納得してしまったが偉い人達のやっている事は、国民にいかにウソをつきゴマ化し、そして利権を手にするかだけ、と私達の目には映ってしまう。また民主主義を口にはするが明治憲法の復活を目指す一群に名を連ねているセンセイ方の何と多いことか。詐欺との電話が日常茶飯事かかってくるような社会にしたのは誰なんだ、と一人でウルイに向かってイキ巻いていた。どうも年をとってくると愚痴が多くなってくるようだ。反省。
【 笹 輝美 】
● この冬はやはり、異常に雪が少なかった。約4ヶ月の間にトラクターで排雪したのは5〜6回位しかなかった様な気がする。雪もなく仕事もなく、ヒマだったにも関わらずあっという間の
3月である。
BS新日本風土記“釜ヶ崎”を見る。60年代後半から70年代の高度経済成長期、新庄も有数の出稼ぎ地帯であり、私も若い頃、行ったことがあり親近感が湧く。
山谷、寿町、釜ヶ崎は日本の三大寄場と言われている。近寄りがたい場所、近寄ってはいけない場所のイメージが強く私も行ったことがない。でも、出稼ぎで団地の舗装工事で働いていた時、寄場から4〜5人派遣されてきた。出稼ぎの人達は勤勉に動くが、寄場から来た人は賃金をもらうとすぐ休むのである(その現場は月2回の支払いがあった)。寄場の人達は帰る家がなく、出稼ぎの人達は4月になると帰る家がある、という違いがある。
画面は現在の釜ヶ崎の一部の日常を点描する。人口2万の釜ヶ崎で、65歳以上の人が45% で、その半分が生活保護だという。生活保護費支給日には、必ず最初に米を買う。先祖が秋田だという人は、銘柄米のあきたこまち。安い米は買わないで、米だけは高いものを買うと言う。今高齢化の中、3Kのきつい外仕事は多くの外国人労働者、非正規からもこぼれ落ちた人達が担っているのではないだろうか!
【 今田 多一 】
● 皆さんはNHKテレビのアナザストーリー「イムジン河」を見たでしょうか。分断された時代背景、構成、全体のストーリーを映像と北朝鮮に配慮し、歌詞のないオーケストラ用に編曲された「イムジン河」という望郷の音楽が流れる。この曲に込められた思いを北山修(元フォークル)、カン・イルスン(元朝鮮学校教師)、リ・チョウル(元朝鮮総連職員)、坂崎幸之助(アルフィー)、蓮池薫(元拉致被害者)らがあつく語る。
番組の最後に当時、朝鮮総連にいて、日本語歌詞に抗議した側にいたリ・チョウル氏が作詞した松本猛氏にメッセージを届ける。「この年になってあなたの作った歌詞に込められた、私達に寄り添う真心が分かった。感謝しています」と。それを聞いて、松本はこみ上げる涙をこらえ、そっとハンカチで目を押さえる。
優れた映画を見たように、私は感動した。
【 三原 茂夫 】
● 「アナザストーリー“イムジン河”を見たか?」と三原さんから電話をもらった時、私は、とあることで検査入院のため病院にいた。「オメ見だら、きっと泣くぞ。DVDに録画しておぐがら、後で見でみろ」 「余計なお世話だ」 が、なるほど、いい発掘話だった。
年齢を重ねると、様々なことが否応なく身に迫る。迷わず進もうと思う。
【 遠藤 敏信 】
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