2020年7月15日
文責 : 遠藤 敏信
梅雨空とはいえ、雨の日が続く。14日、山形県には低温注意報が出された
●「文明が進むほど天災による被害の程度も累進する」これは80年ほど前に寺田寅彦が述べた言葉だそうだが、大震災から今日迄私達が何度となく直面してきたまぎれもない事実を予言していた事になる。
九州等での豪雨被害を映し出す画面を見ると呆然としてしまい、見舞いの言葉さえ失ってしまうようだ。あのような災害がいつ、どこで起きてもおかしくないところ迄追い詰められているのに、便利さと快適さに慣れてしまった私達は、なかなか生活を見直すことができず、被災の当事者意識をもつ事も出来ない。私達人間とは何と愚かなのであろうか。
今「何故、ロクでもない日本人が増えたのか」を題材にした本や記事が目につくが、私なりに乏しい知識と偏見で考えてみた。1970年代の学生運動が激しかった後に始まった教育改革の裏の目的は権力に従順な人間を育てることであったと記憶しているが、それが見事に身を結んだと思えて仕方がない。特に新自由主義にとりつかれた人達が巾を利かせる時代になってからは、学問でさえも「今もうける」事につながらない分野は切り捨てるという、近視眼的姿勢が貫かれ、人間としての根源的な生き方を追求する分野などは不要、称賛されるのは金をもうける事のみ。民衆には自己責任を求め、権力を持つ者達は税金と民衆に寄生する白アリに見えてしまう。この先村はどうなってゆくのであろうか?1月に生まれた孫を見ながら、顔は笑みながらも、頭では又そんな愚痴で一杯のジィさんになってしまった。が、まだ頑張らなくては。
【 笹 輝美 】
●新庄は7月に入るや、まさに梅雨空です。九州や中部地方のようなゲリラ豪雨はありませんが、晴れ間が本当に少ないため、大豆トラスト畑の中耕時期を逃してしまった感じです。
百姓は快晴高温が続くと干ばつや水不足を心配し、雨が多いとイモチ病や災害だったり、畑作の出来だったり、雑草だったり、常に心配で天候に合わせる管理は
毎年違い、毎年、気を使う。
【 今田 多一 】
●コロナ禍、そして特に九州地方に集中したこの度の豪雨災害、大変なことが次々おきて、つましい暮らしを直撃する。喜・怒・哀・楽、いろんなことの積み重ねの上に今がある事に改めて気づく。まだまだ、頑張らねばと思う。
【 遠藤 信子 】
●今回の記録的大雨で球磨川が氾濫し、大きな被害を受けた人吉市には小さな思い出がある。17年前に九州を回る旅の途中で、球磨川のほとりに建つ国民宿舎に
一晩お世話になった。夕食に地元の老人クラブと一緒になり、遠くから来たというのでずい分と歓迎された。翌朝、奨められた人吉城や美しい青井阿蘇神社等を散策した。新庄と同じように静かないい町であった。テレビには一面泥水に浮かぶ家々の映像が続く。水が引いてもガレキや泥にまみれた家具や家電、ゴミとなった思い出の品々の片付け方が待っている。毎年繰り返されるこの光景を断ち切る術はないものか。
【 三原 茂夫 】
●「目(まなぐ)めーね。耳ァ きけねェ。口と脚ァ もつれてオタオタヨタヨタ、
膝が、いでェ。ほして、胸まで とかとかする」と、半ば冗談めかして言ったら、
家のものに「そげなごど、口さ出さねでけろ」、言葉にするのはやめてくれ、とたしなめられた。視力、聴力、ろれつ、脚力、体幹力が、気持とは裏腹に衰えてきたことを実感する。そんなことは分かっているから言わずともよい、ということか。
さて、イネの無農薬栽培区が大変なことになっている。コナギという広葉雑草が条間にびっしりはびこり、このままいくと早晩、イネは草の勢いに負けて消えてしまうであろう、という危機にある。今までで最大のピンチだ。
【 遠藤 敏信 】
つや姫特別栽培区と無農薬栽培区比較 |
● 私の好きな「ぼろ鳶」、「くらまし屋」シリーズの著者・今村祥吾氏が5月末に出したばかりの新刊
「じんかん」が第163回直木賞候補の一つにノミネートされている(2度目)。発表は今日15日だ。東日本大震災の際、ボランティアに参加しての帰り、新庄に立ち寄り、新庄まつりの起源に触れたことが、「生きることは、人を生かすこと」というテーマとなり、全作品のモチーフになっているという。