新庄発 … 短信集 … 霜 月

2024年11月15日
編 集:遠藤 敏信


●冬の準備をやっています。一気にできないから少しづつ。ナスのの片づけ、成長した苗木は、木のように固くなり、枝木剪定ハサミで小さく刻み、スコップで値の部分を掘り起こす。
 茄子とピーマンは7月から10月まで実を着けてくれて本当に助かるが、たくさんあるときは飽きが来てうんざりすることもあるのだが、でも、長くもってくれて有難い。
 そがき(雪囲い)は終えたが物置や作業小屋の整理、7/25の豪雨で崩れた田んぼの畦畔・土手の復旧はこれからだ。
【 今田 多一 】

●天気の中期予報に雪マークが出てきました。冬への備えが急ピッチで進んでいます。大豆やそばを取り入れてビニールハウス内で自然乾燥をしています。頃合いを見て白菜、大根の収穫を  する予定です。
【 遠藤 信子 】                                    

●大豆トラストの圃場、今年はまだ収穫していない。背丈ほどの草がぼうぼうなのだ。新庄農縁の協力者 Nさんが剪定ハサミで草を除いているが、先月の20日から入って、あと数日はかかるという。今年は7月に雨の日が多く、中耕作業ができなかったため、作業に入った時には草が生い茂り、さらに畑の土が固くなりすぎていた。雑草対策は深く反省しなければならない。
ところが、である。Nさん、草刈りから豆刈りに方針を変えたのである。個体数は草よりも豆の方が圧倒的に少ないのだから。いずれにせよ、難儀するばかりの事は避けなければならない。ちなみに、豆畑の写真を撮ろうとカメラを借りると、何と2014年のデータが残っていたのには驚いた。
【 むらのじゅうにん 】

●10月下旬、新聞の訃報欄に覚えのある名があり驚いた。ノスタルジックで感傷的なことを書く。 
 約50年前に一緒になりたいと思った人の名だった。本好き甘ったれで、しかしきちんとものをいう利発な娘(こ)だった。農家の長女で跡取り娘として育てられた。農家の長男として生まれ育った私と心を通じ合うのは当たり前だったといえる。

 当時私は金もなければ意気地もないヘナチョコだった。会うことがなかなか難しく、映画をともに見たこともなく、共有体験はほとんどなかった。連絡の多くは手紙だった。『○月○日、○時頃電話する』などということを書いたこともあったように思う。数年前、部屋を片付けていたら、処分したつもりの手紙が袋詰めで出てきた。読み返すとムショーに懐かしさが湧いた。
彼女の昔の友人に動向を伺った。20数年前に脳腫瘍を患い大きな手術をしたという。
私の記憶など失せたかもしれなかった。
いざ訃報に接すると、体の力が抜けた。供養のためにかの地の地酒を求め、したたかに飲んだ。酔うために … 。
彼女の家に一度行ったことがある。母親の言葉がとても印象に残っている。
「うちの娘を好きになってけで、おしょうしな」
安らかなご冥福を 心より 祈る。    合掌。
【 遠藤 敏信 】




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