新庄発 … 短信集  師 走

 2021年12月15日
文責: 遠藤 敏信

●今日13日、根雪にはならないと思われるが、新庄の初冬らしい雪降り模様である。私の村では年2回、11月末と3月末、村の総会がある。終了後、輪番制の隣組長宅で一献かたむけるのが慣例になっているのだが、コロナ感染拡大騒動が起きてからは中止になっていた。このところ県内感染者がゼロになってきていることから、今回は希望者だけ街場の食堂で一杯やろうということになった。隣組10人中参加者は4人だけだった。10人のうち兼業も含めて農業にたずさわっているのは6人である。あと4人は完全に農業から足を洗った。私を含めいつ足を洗ってもおかしくないという話が中心であった。村全体でも推して知るべしである。
この時期、毎年同じことを短信につぶやいている気もするが … 。
【 今田 多一 】

●最高気温が1桁となり、お天道さまが顔を見せるのが稀となってしまった。今日12/13は、これからの天候を暗示しているかのような吹雪。外の作業は雪が積もればそれで終わりとなり、残りは来年への繰り越しとなる。
 昨日、30年以上活動を続けてきた「神室山系の自然を守る会」の忘年会だった。コロナが心配される中なので仲間たちの山小屋での開催となり、山男たちだけに山の幸、川の恵みを材料にした手作りのご馳走がたくさん並び、すっかり満足。
“神室の神様”と呼ばれた国定公園初代管理人高橋銀次郎さん(故人・私の師匠の一人)を偲びながら山や自然の話、今までお世話になった方々への感謝を込めての思いで話、そして地域の問題や自然保護の話に大きな花が咲いた。
 今、会で一番気になっている事は、運営委員はじめ会員の多くが高齢化している為、若い人たちにどうしたら関心を持ってもらえるか、ということである。今までも腐心してきたことではあるが、急がれる課題である。新庄・最上地域には巨木が多く、又、白神山地にも引けを取らないブナの森が広がっており、当会では春と秋に観察会を実施していますので、多くの皆様のお越しをお待ちしています。(コロナで中止の場合もあり)
 今年一年 ありがとうございました。            
【 笹 輝美 】

●今年もあと半月を残すのみとなり、振り返ってみれば新型コロナはいまだに世界に蔓延し、いつ終息するのか見通せないでいます。そんな中でミャンマーでは軍事政権がデモをしている多くの国民に銃を向け殺害し、中東でもいつ終わるとも知れない紛争が続き、多くの難民を出し続けている。
 テレビでは年明けにもロシアがウクライナに侵攻し、それに連動して中国が台湾に攻め込むのではないかとの報道に、2度あることは3度あるたとえの如く第3次世界大戦が起きるのではないか、と。又、日本各地での地震がドラマ「日本沈没」のように、100年毎に起きている首都直下型地震や南海トラフ地震につながるのではないかと、誰に頼まれもしないのに心配しているのである。
 今年一年ありがとうございました。
【 三原 茂夫 】

●11月末、先輩友人2人と9月下旬に新庄を離れたHさんを盛岡市に訪れた(三原さんが11月の短信に記した方)。啄木記念館に近く、岩手山が青空に白く鋭角的に見える地に、新しい住居はこじんまりとしながら、よく煉られた設計で建てられていた。環境問題に長けるHさんらしく、近くソーラーパネルを取り付けるという。
 その後、近場の温泉宿に泊まり、30年来の友人にも会えた。コロナ禍で往来が不自由だったうっぷんを晴らすに、とてもいい小さな旅だった。  
【遠藤 信子】

●今年もいろいろなことがありました。自分、家族、集落、町、山形、日本、世界中で。人間は喜怒哀楽の感情の中で生きている、あるいは生かされていると、言われます。でもその繰り返しばかりとは言えない。様々な人とさまざまな生き方があり、強くたくましい人、そうでなくナイーブな人もいる。結果、哀、哀が続く場合もあり、それは辛い。ガンバレだけではかたづかないのだ。無理する事ないんだぜ。
年の瀬に話題が暗くなりました。ご容赦を … 。
 この一年、大変お世話様でした。ありがとうございました。 
【 遠藤 敏信 】 

何故か急に浮かんだ歌 / わが宿の いささ群竹 吹く風の 音の過疎けき この夕べかも (大伴家持)




新庄発 … 短信集  霜  月

 2021年11月15日
文責 : 遠藤 敏信

●ここ4~5日、どんよりした雨模様で確実に冬が来ている感じであるが、一部で大豆の刈り取りがまだの所もある。刈り取りが遅れると品質が低下する。もう少し、ハレの日が続いてほしい。
 この前の衆議院議員選挙では、護憲派の政党が伸びると思っていたが、結果は改憲派が伸びてしまった。そして、元気とパワーがあった、あの辻本議員が落選した。私的には残念だった。 
【 今田 多一 】

●長い間住んだ新庄を離れ、遠く岩手県に引っ越した知人から便りが届いた。住んでいる所は盛岡市(旧渋民村)で雄大な岩手山が目の前に聳え、石川啄木記念館は1kmの近さにあるという。近所づきあいもうまくいっているようだ。それにして。も思い切ったことが出来る人だなあと感心する。住み慣れたところから、誰も知らない土地に高齢者になってから行けるなんて私には出来そうもない。2年前、杜撰な計画のまま強引に看護学校設立に突き進む市長に、それはおかしいと数々の問題点をあげ、反対の声をあげた。新聞での意見広告にはじまり、市民集会、そして最後は、市長のリコールを目指した住民投票までやろうとした。そのエネルギーの源は自分が納得出来ない、不正を許せないという信念だったのだろうか。多くの市民の協賛を得て看護学校設立案は撤回された。田舎の自治体では珍しいことだ。目的を果たして、風のように新庄を去っていった。かつて農縁新庄の会計にも深く関わった方だった。
【 三原 茂夫 】

●10月下旬から雨の日が多くなり、建物や植木の雪囲いや畑の片づけが一向に進まない。又コロナが怖くて遠出もできず、雨の日は来年に備え機械の点検整備や器材の整理を行っている。まだまだ外の仕事が山積しているのに……。
コロナウイルスは次々と変異し、人間社会を混乱に陥れているが農作物や家畜の病原菌やウイルスも変異し、耐性を持つようになる。加えて、病原菌ウイルス、雑草をはじめ多くの生物もグローバル化、元来日本には無かった作物の病気が次々発生、又、雑草や害獣に因る被害が多発している。そのことにより少なからず、農業経営が圧迫されており経済的損失が発生している以上、それらの侵入を許す恐れのある行為は犯罪と言えるのではあるまいか?しかし、私たちがいくら被害を受けても、誰もどこにも責任は問われない。そして、種子法・種苗法の改悪で益々経営がやりにくくなっている事も事実である。方や遺伝子組み換えやゲノム操作によって作り出された作物の安全性や環境への作用も危惧されるところであり、人間の食物を作るのではなく、ただ利益を得る為の商品を生産するという方向に進んでいるようでならない。
【 笹 輝美 】

●私が担当するトラスト会員が夫の仕事の関係で、ルクセンブルクにしばらく移住することになった。ルクセンブルクを調べてみると、フランス、ベルギー、ドイツに挟まれた人口63万余の小国とある。しかし、金融機関の大国ということだ。
 実はMさんの夫は外資系の証券会社に勤めているということをじかに伺っている。10年程前、小さな子供たちを連れて来られたことがあり、再度夫君が訪ねてきたこともあった。加えて、わが家の大豆と米麹で毎年、自家製手前味噌を作るということを繰り返してきた家族だ。かの国は公共交通機関はすべて無料だというが、コロナ禍が治まらない今、あちこち巡り歩くことはない、という。それにしても、人のつながり・関りっていうのは面白い。しかもMさん家族は夫人主導なのだから余計に面白い。
【 遠藤 敏信 】

落葉が進み、冬まじかを予感させる。それにしても近年、霜柱が立つような冷えが来なくなった気がする




新庄発 … 短信集   神 無 月

 2021年10月15日

文責 : 遠藤 敏信

 

●今年は5日、稲刈りを終えた。稲刈りはコンバインに乗っているだけなので楽なのだが、もみすり作業が大変になってきた。30㎏の米を持って積み上げるのが苦しくなってきたのだ。膝と腰に問題がある私にとっては、春の田植えの時の苗箱と同じく、持つのが一番つらい仕事だ。昔、1俵60㎏と今の1袋30㎏が全く同じ重さに感じられるようになってきた。
 在日米軍の横暴が止まらない。自治体が「やめてくれ」と言っているのに汚水を直接下水に流したり、汚水タンクの処理費用を日本が何も言えず肩代わりしたり、基地内にごみを置き去りにしたり、と。余りにもひどいではないか。
 何かといえば“日米同盟が基本”と政府は言うが言うべき時に言わないから相手にばかにされ、金だけをむしり取られているとしか、私には映らない。ベトナム・アフガンの撤退シーンを見て少しは頭を冷やすべきだ。
【 三原 茂夫 】

●先日9/21、十五夜と満月がぴったりと重なる日であるとTVでしきりに言うので、東の空を眺めた。星空ではなかったが満月ははっきり見えた。(少し曇り気味だったが) 小さい頃、この満月を“豆名月”と言い、集落の家々を“豆名月さん”と言いながら回り歩き、軒下の窓から枝豆をいただく行事が楽しみだった。今の枝豆はお盆の頃の暑い時期、ビールのつまみ感が強いが、昔は初秋のこの時期が旬だった気がする。秘伝豆がおいしいのもこの時期である。10月が“栗名月”、11月がさつま芋の“芋名月”。秋の満月は、実りの秋でいっぱいである。
【 今田 多一 】

●9月下旬も好天に恵まれた。早生種を植えていないため、刈り取りを遅く始めたが、予定より早く終えることができた。しかし、その後は雨の日が多くなり、もみ殻の片づけはまだ終わっていない。
 口はいくらでも動くが手足の動きが鈍くなっているため、時間的な余裕ができず、なかなか好きな山へ行くことができなかったが、稲刈りが終わって間もない10/10、三原君から誘いがあり何年ぶりかで鳥海山に向かう。頂上に辿り着けなくても12時には下山することとし、秋田県側の登山口から朝7時に入山。気圧配置から東からの風が吹くことは解っていたが予想以上に強く、頂上付近はガスで期待していた大パノラマはおあずけ。それでも頂上で早めの昼食をとり、登りとは別のコースを下る。
 山では花や動植物、昆虫、景色等と同じように様々な人との出会いも楽しい。
今まで山とそれ以外でも何人かの外国の方と話をする機会があった。私はアメリカという国は建国までの歴史、そして建国後の歴史からもどうしても好きになれない国であるが、山で出会った米国人にはそのようなこだわりなどなく親しく話すことができた。個人対個人ならどこの国の人とも仲良くなれるのに、国家間となるとどうしていがみ合うのであろうか? 宗教的な要因、歴史的要因、人種的要因等挙げられるようだが、それとて根底にあるのは、人間の強欲、富の分捕り合戦が殺し合いを生み、社会を崩壊するように思えてならない。
【 笹 輝美 】

●稲刈りと並行して枝豆もぎを1日おきに2週間ほど行った。菓子加工のための、枝豆きな粉の原料にするためだ。収穫は朝方2時間ほど、おっとっとと行う。
 期間中10日間、農林大学校の学生が研修に来ていたので、加工過程を手伝ってもらったため作業はとてもはかどり、ありがたかった。1年分の材料となる。
 豆は秘伝豆。枝豆をきな粉にすると完熟豆で処理したものよりも、色と香りがエダマメそのままの風味を保てるのです。
【 遠藤 信子 】

●稲刈りがまだ終わらない。早くから刈り始めたが、耕作面積が増えたこともあり、機械のトラブルもあり長引き、晩生種のつや姫をあと3日程分刈り残している。
今年の作は散々だった。雑草がはびこり、カメムシ、いもち病につかれ、斑点米が多く発生。だから、保有米についても色彩選別機にかけ、再選別を行わなければならない。減農薬の通常栽培でさえこうなのだから、無農薬栽培区は推して知るべし … か。手抜きをしているわけではない。なんぼやっても難しいものだ、と改めて思う2021の秋。
【 遠藤 敏信 】

恒例 O幼稚園の稲刈り(10/6 )


新庄発 … 短信集  長 月

2021年9月15日
文責 : 遠藤 敏信


●2~3日前、2021年産米のJA概算金の内訳が新聞に出ていた。コロナ禍で外食需要の減が大きな原因だと言う。予想のこととは言え1俵(60㎏)当たり2200円減はとても大きい。
 無農薬米はやはり寄る年波で体にきつ過ぎるが、皆様方の農に対しての励ましが大きな支えである。今日13日、コンバインと乾燥機の調子を見る為イネを刈り始めた。
【 今田 多一 】

●11日の毎日新聞に元村有紀子記者の書いた一文が私の心を感動させ2回3回と読む。こんなに見事に構成された文章を私も一度でいいから書いてみたいと思った。私なりに読んだ感想の要旨をまとめようとしたが、途中でやめた。全文を読んでもらうのが一番だ。
 1万年も続いたといわれる縄文時代は集落を作って定住し、自然の素材で衣食住をまかなった。戦争をした痕跡が見つからず、共同体で助け合い、平和に自然の恵みを受け豊かに人々が暮らしていた時代であったかも知れない。そして最後に、元村さんは自然から奪い尽くし、他者への寛容さを失い、敵を作って戦いをやめようとしない現代人を縄文人はどう見るだろうかと書いている。    元村さんの文章は短信集の裏面に掲載しています。
【 三原 茂夫 】

●コロナ禍の中でも季節は駆け足で過ぎてゆく。8月10日までの猛暑が一転して台風の通過後からは低温と曇雨天が続き出穂が速まったイネだったが登熟は足踏み状態。それでも天候が持ち直したことから早生種では稲刈りが始まった。この夏の我家を決算すると、スイカは甘みが少なく、大根のようでタヌキも食べず、後で着果したものはいくらか甘くなったが、とたんにタヌキが食い荒らしてくれた。スイートコーンはすべてタヌ公への奉仕となり、枝豆までも。キューりと茄子はカラスが食べもしないで身を突つく。誰のために植えているのかとさえ思ってしまう。
 6月に植えたウルイは猛暑と干天の為3割ほど枯死してしまい、補植するにも苗は無しといった具合。このような異常気象が続けば若者はますます農業に就くことをためらうであろう。そう遠くない将来「日本に農業はいらない」などと声高に叫ばなくても、この国から生業としての農業は消滅してしまうような気がしてならない。
【 笹 輝美 】

●私は思う。芸術も文化もスポーツも大切なものだ。その大切なものに序列をつけるなんてことはできないが、それらは食が満たされてこそ輝きを持つものではないのか、と。
 仕事で頑張れるのは、人の生存に不可欠な食の生産に関わっていることへのささやかな喜びがあるからではないのか、と。文化・芸術・スポーツなどが安心してできるような平和な世の中であってほしいと願う。
 8月22日、オンラインで天笠啓祐さんの「ゲノム編集に関する現状と危うさについての講義」を聞いた。種の独占化を図り、最終的には食を通して人・国を支配するような企ては許されることではない、と思う。 むずかしいことを書いて、混乱しています。
【 遠藤 信子 】

●13日稲刈りを始めた。早生種のもち米からだが、こんなに早い刈り取りは初めてだ。
 高校時代の同級生から手紙が届いた。宮城の小学校で教鞭をとった方で、長く私のコメをご愛顧いただいている。農縁の会員ではないがその都度、短信集を添えていた。… で、転載の承諾を得たので、その便りを紹介します。

 いつも美味しいお米を送っていただきありがとうございます。同封されてくる短信集、毎回興味深く読んでいます。もっぱら人様が手をかけ、育て、収穫してくださった作物をいただくばかりの私にとって、これは作り手の思いを知るための大切なお便りです。いつも共感したり、感心しながら読んでいます。
 土に向き合い、自然を頼りにして生きる事と、この世界がどうあるべきかを考えることは決して無関係ではなく、強く結びついているのだということをいつも教えられます。
 地球という一つの星に生きている私たち(人間を含むあらゆる動物や植物)が互いに共存して生きるという理想に向かって、今 、何かをしなければならないのかを、普段の生活の中で、少しでも意識しながら暮らすことができればと思っています。
 一方、現実は人間中心の自然破壊と、人間同士の絶え間ない対立と抗争、揚句の果ての殺し合い … 目を覆いたくなるようなニュースばかりです。せめて書物や賢者の言葉を借りて、希望を失うことが無いように心がけている毎日です。
 農縁の皆様、これからも地に足をつけた心強いお便りを、楽しみにしています。
 実年齢よりも、気持ちはずっとお若い皆さま、それでも体には十分気をつけてお励みください。仙台市 : S. 泰子 

   20年ほど前、彼女の授業に呼ばれて"米作り"について子供たちに話をしたことがある。又翌年には校庭の一隅を掘り起こしブルーシートを敷いて土を戻し即席の田んぼを作り、田植えをし、緑陰講話をしたこともあった。全くの砂地で地力がなかったことで見事に失敗したことをのちに聞いたっけ。それにしても、こういう便りはうれしい。      【 遠藤 敏信 】


三原さんが読み、感動したという文章 「毎日新聞」9月11日号 オピニオンから
(WEB掲載上この大きさですが、右クリックし「画像を開く」を選択すれば拡大して見られます)



新庄発 … 短信集  葉 月

2021年8月16日
文責 : 遠藤 敏信


● 7月15日の梅雨明けから猛暑続きで生きるものすべてがヘトヘトだが、イネは高温多照で出穂が今迄にない程早まり、カメムシの被害も多くなるのではないかと心配される。又、このような年は収量が伸びないのが過去の例である。
 インパール作戦に例えられもした2020東京オリンピックも閉幕、アスリート達の肉体極限への挑戦には心打たれるばかりであったが、諸々の問題が残されその後始末はどう処理するのやら。そして広島・長崎の平和記念式典も五輪に押され影が薄くなったように感じられた。終戦子と言われる私達がもの心ついた頃でもまだ敗戦の混乱が尾を引いていた。皆が貧しく、小学校には疎開してきた生徒がわずかだが残っていた。そしてラジオからいつも流れていたのは「尋ね人」の番組で、戦地や満蒙開拓団等で離ればなれになった肉親や友人知人を探す便りが数年間続いていたように思う。
 それにしても320万人ともいわれる同胞が犬死に近い形で死に追いやられ、その戦争を推し進めてきた者達は危うくなると一早く逃げ帰り、「鬼畜米英」「一億総火の玉」を叫んでいた者が1945年8月16日からはためらいもなく民主主義を口にする。そして臭いものにはフタをするごとく、総括は一切示さず、己の保身を計るばかり。その無責任には開いた口が塞がらない。戦後を知る多くの人達はこのような人達の系譜に身を置く者達を信じる事はできない。
コロナのストレスでまたボヤいてしまった。
【 笹 輝美 】

● 友人と鶴岡市へ「北斎 展」を見に行く。有名な“富岳36景”をはじめ、北斎漫画、肉筆画と盛りだくさんで、地方で開催された割には充実した内容であった。なじみの古本屋に寄って本を買い、主人とお茶を飲みながら話をしてくる。昔は学校の先生が一番のお得意先であったが、今どきの先生は、百科事典はもとより広辞苑さへ持っていない人が多い、と。皆、パソコン・スマホで用を足している。本を読まなくなった、本が売れない、と。一時は古本屋で余生を送ろうとしていた私にもこたえる話ではあった。
 12日、村はじまって以来初めてイノシシが捕獲された。数年前からその被害は報告されていたのだが、実際姿を見た人はいなかった。長い間雪国ではイノシシは住めないと思われてきたのだが … 。これも温暖化のせい?
【 三原 茂夫 】

● 今年のお盆は去年同様、コロナ事情により親戚同士の仏前参りをしないことになった。家事をつかさどる者としては幾分気が楽だが、人の往来があろうがなかろうが、精進のお供え物はいつも通り準備しなければならない。
 わが家はすぐ裏に山を背負っているせいか、トマトやトウモロコシなどは熟れ頃になると、真っ先にタヌキやカラスの格好の餌食になる。防御しないことに問題があるのだが、彼らの食べごろ判断には憎っ気と思う反面、感心するものもある。
 暑かった夏だが、夜には秋の虫が鳴きだした。
【 遠藤 信子 】

● コロナ禍でのオリンピックが終わった。直前まで様々な問題を抱えて開催を危ぶむ声が多くあった。私も「この状態でオリンピックかよ」と思っていた。しかし、家人は言う、「サッカー中継の時はTVにくぎ付けだったくせに」と。
 五輪という祭りが終わって、コロナの感染が懸念した通り拡大している。収束への道筋を示す姿勢が今の政治にはあるのか不明だ。迫る衆院選で勝つことが最優先課題なのだろう。
 6、7月、今年は天気が良かった。特に7月は35度超えの真夏日が何度もあった。畑は乾き、恵みの雨を欲していた。が、暦の上で立秋を迎えて間もない9日から、台風の東北上陸に伴い雨となった。予報とは違い激しい雨はなく、梅雨時のようなどんよりとした冷たい雨にとどまり助かった。ニュースは西日本などで「これまで経験したことのない大雨」による災害が起こる可能性があると、報じる。安心・安全な暮らしはここでも自然災害ということでおびやかす。
 世界の事はTVニュース等でしかわからないが、あちこちで大雨や洪水が発生いているという。氷河がだんだん減っているともいう。温暖化が地球規模で進んでいるからだと。個々にあっては 、経済活動が一番ではない、SDGsのキャンペーンに乗るだけでない、コロナ自粛でもない、つましく、つつましいそれこそ新しい生活様式ってものがあるんではないか、と思う。
【 遠藤 敏信 】


新庄発 … 短信集    文 月

 2021年7月17日

文責 : 遠藤 敏信 


●今年も身体的苦痛に耐えながら四つん這いになっての草取り作業を終え、その後はクタクタに疲れダウン、5日間ほど休む破目となった。せっかくきれいに取ったと思ってもまたすぐに草は生えてくる。石川五右衛門ではないが「雑草の種は尽きまじ」である。長年草取りをしていると直接間接に様々な声が届く。「あまり無理するなよ。もういい年なんだから、そんな難儀なことはやめたらどうなんだ」と健康を気遣ってくれる声である。しかし中には「俺だったら、あんなバカなことは1俵(60㎏)10万円でもやらない」とか、「口で草を取れなければ一人前とは言えない」といったものまで …… 。稲作が始まって以来、常に雑草対策に悩まされ続けて来たといえる。
 近現代においては、農民はもとより老農(農全般に卓越した知識・技能を持つ人)や、行政の試験研究機関や農機器具開発会社も雑草対策の研究を行ってきて、最も効果的であったのが除草機であり、すぐに普及していった。しかし、1年生雑草には効果はあるものの、多年生雑草と増殖力の強い雑草には劣り、最終的には手取りを行わなければならなかった。
 そうした歴史を知ってか知らずか、「もっと簡単に雑草を駆除できる方法や機械器具を自分達で考えられないのか」と言った人がいたが、それを常に考えてきたのは 現場で苦痛を味わってきた我々なのだ。有機農業の妨げとなっているのは雑草対策に外ならない。持続可能な農業も今の方法では身体的に不可能になりつつある。
【 笹 輝美 】

●在日米軍は、司令官から兵士まで昭和20年の占領軍の意識のままなのだ。沖縄はもとより、日本各地で傍若無人に振舞ってきたものが急に改まるわけがない。
 75年間も国はそれを揉み手をしながら、顔色をうかがいながら許してきたのだから。そこには独立国家としての気概も誇りもない。アメリカの言う通りにしていれば間違いない、日本は安全だと与党も野党(共産党を除く)も信じて疑わない。ロシア・中国・北朝鮮の脅威に対して日本国だけでは無理なのは誰でもわかっている。だからと言っていつまで占領軍のままで、まるで属国のような立場をこれからも続けて国家として恥ずかしいと思わないのであろうか。せめて同じ敗戦国であるドイツやイタリア並みに地位協定を改定しようともしない無能無策ぶりだ。
 非武装中立論が話題になっていた頃、「自分の国は自分で守る。当たり前のことではないか。他国を当てにしている国など誰が認めるものか」と言って非難された政治家がいた。今にして思えば至極当たり前のことを言っただけだ。今回は笹さんが読めと進めた「主権者のいない国」と「国体論 菊と星条旗」(白井聡)を読んだ余韻で農縁とは関係のない長文になってしまった。
【 三原 茂夫 】

●今年のさくらんぼは春の凍霜害の影響で収穫量が3割減ということだったらしい。
従来回してもらっている分は何とか確保できたが、新規分は当然ながら断られた。
 7月に入って朝方、ブルーベリーの摘みとりを行っている。通常1日おきに行うのだが、今年は2日おきでよい。しかも摘みとりの時間が例年より短い。強めの剪定をしたためか、気象上の影響があったためかは分からない。
なにやかにやと内と外の忙しさが続く。
【 遠藤 信子 】

●当り前のことだが、人は年を重ねて老いていく。そしてある日、力尽きる。これは、人の定めだ。(だが、「ゲノム編集」はその摂理を覆す可能性があるらしい) 先日、親しい友人の父が亡くなった。90才を超えていたから、いつかその日がくることは覚悟していたという、が、気丈にふるまいながら、突然のことに気持ちの整理がつかないようだった。朝起きて飯を食い、昼も一緒に食った。が、夕方にはなくなっていたという事実。「天寿を全うした … 」ということにしても。
 親戚・縁者や寺への連絡、葬儀の手配等のバタバタとした慌ただしさが、肉親を失ったことへの様々な感傷に浸る時間を、今は与えない。故人の安らかなご冥福をただただ祈るとともに、友の立ち直りをねがうばかり。
【 遠藤 敏信 】

大豆畑トラストの1ヶ月



新庄発 短信集 … 水 無 月

 2021年6月15日

文責 : 遠藤 敏信


田植えが終わり青田が美しい。早苗が風にそよぐ。6/10,11、早くも32℃超えの夏日を記録、暑い。私の田んぼには雑草が目立ち始めた。2回目の畔草刈りが始まった。(え)


●山形名産のさくらんぼが霜の被害を受け、品種や場所によっては、予想収穫量が3割から5割減と言われている。さくらんぼ農家のため息が聞こえてきそうだ。
ため息と言えば、去年の暮れから今日まで集中して近現代史の本を読んだ。特に昭和史はため息の連続であった。歴史を学ぶ時、今の常識や倫理観を持ってみてはならない、とはよく言われることだが、それにしても呆れるほどひどい人物が軍部や政治の中心にいたものだ。
【 三原 茂夫 】

●田植え後、新庄も高温気味の暑い日が続いています。6月9日、朝仕事で「大豆畑トラスト」圃場への種まき作業を終えました。
 農縁生産者メンバーの年齢は今や70才前後であり、足腰が弱ってきたと皆口にするが、私には皆まだ元気に見える。
 村は高齢化やグローバル経済にさらされ、今日ほど危機的で不安な状況はないはずである。そして、ほかの職業の人たちの多くも不安感にかられているように見受けられる。昔から食べ物を作り、自給すれば良しと言う事があるからか、それを体制側から利用されてきた感もあるが、それでも村と農業には安心感がある、と感じる事もある。
【 今田 多一 】

●田植えが終わり機械や器材の片づけを済ませて、と休む間もなく畦畔の草刈りだ。近年高齢化や他作物の導入等で畔草刈りの労力を省く為、除草剤を使用する人が増えている。除草剤は雑草の地上部だけを枯らすタイプと、文字通り根まで根こそぎ枯らすタイプに大別されるが、畦畔に使われるのは後者であり、商品名ラウンドアップに代表されるグリホサートが主成分のものである。容器のラベルには地面に落ちたものは太陽光により速やかに分解されると記されているが、庭等で連用すると時間をかけて径30㎝もある庭木が枯死していく事例(少数ではない)を見ると、私はラベルの内容をそのまま信じる事などとてもできない。そのような除草剤を頭から直接かけても枯れない遺伝子組み換え作物は、食べ続けても本当に大丈夫なのであろうか。万が一の場合はまた、想定外なのであろうか。
【 笹 輝美 】

●4月の育苗準備から1番草刈り、田植え、とあわただしい日々を過ごした。6月に入って畑作物の定植やら種まきもなんとかこなした。息つく間もなく、県立農林大学校の農産加工科の学生の研修を受け入れている。初めの5日間は、秋田出身の男子(2年生)。今来ているのは長野出身の女性(1年)で10日間とのこと。非農家育ちの学生が年々増えているという。その日その日のメニューを考えるのは大変だ。
13日、私は仕事を完全にOFFにして旧知の“あっちゃん”と久しぶりに話し込んだ。「ノブちゃんわげやー」「65だでわ」。「おれは80なったでわ。この前センセの蔵書を処分した。車3台分あったっけ」「早いねぇ、亡くなって5年かー」。
張りつめてばかりの生活は疲れる。時にゆっくりした時間を持ち、ぼんやり過ごし、心に遊び場を作っておかなければならない、とつくづく思う。
【 遠藤 信子 】

●1月に膝の痛みをとるために右脚の「高位脛骨骨切り術」という手術を行った。順調に回復してきたなと思っていたら、5月中旬からまた痛み出した。医者は言う。「痛み止めを内と外、両方からやってみよう。余り負荷をかけないように」だと。
 山登りをもくろんでいたが、とても無理。おとなしくしてろってことだろう。
【 遠藤 敏信 】

6月9日早朝  「トラスト畑」の種まき